節分だった

2月3日は世の中は節分であるけど、私にはじいさまの命日。覚えやすい日でよかった、と思う。




あと、時季が変わる日でもあるので、ツイッターのアカウントを削除した。
30日以内にログインすればまた復活はできるのですけどね。区切りとして。
これ以降はただの愚痴です。
削除したアカウントは、2007年5月に登録して今年で10年目に突入だった。
初期のころは使い方や面白さがわからず放置していたのだけど、2010年頃から
知人にユーザーが増えていくにつれていろいろと面白いと思えるようになった。
有名なブログや個人でサイトを運営してた人がツイッターに移動してて、
そういう方をフォローして、ツイッターならではの文章が読めるのが面白かったし、気軽にやりとりできるのもいい。
本当に、楽しい・面白いと思って使っていたのはそこから2〜3年だと思う。
で、年月が過ぎ、いろいろと環境が変わっていくにつれ、めんどうくさいことの方が増えてきた。
楽しい・面白いよりも面倒だと感じることのほうが上回るようになり、要は
ピークがすぎちゃったんだな、と。
自分の発言に「いいね(昔は「お気に入り」だった)」やリプライがあるというのはとても楽しい。
よく言われてる承認欲求が満たされるというやつで、今でもそれは魅力的だと思う。
でも、それがとても厄介で、受けるようなネタを探すようになったり、コメントのもらいやすい内容をつぶやいたりした。
が、そういうときに限って無反応ということが多く、落ち込む必要はないのに、「ダメだったか……」と落ち込んでいた。
今も思うけど、馬鹿だな。
あと、ツイートする内容に気を遣う、というのが一番重荷になってた。
非公開アカウントでない限り、ツイートした文章は全世界に発信される。
その内容が誰かを傷つけるかもしれない、という類の心配は当然あったから、その辺りも気を遣うようになり。
とはいえ、当たり障りのないことを読んで、面白いと思われるかというとそうでもない。
そういう面白くもないことをツイートし続けるってのは何の修行なんだ? とか思うこともあり。
気を遣ったつもりでも、不愉快にしてしまうことがあった。
もしかしたら、それは自分には関係ないツイートだったかもしれない。
でも、自分のことを非難してるのでは? と考えてしまうこともあり。
直接本人に確認することもできる。
そして「違う」と言われるかもしれないけど、本人目の前にして肯定するってできないもんねえ。
そう考えて、そのフォロワーを刺激しないようにと自分に規制をつけてしまう。
増えていく自主規制と満たされない承認欲求。
なんの実験だ。
まあ、10年もったいないなー、という部分もあったけど、今が大事なので、一度お休み。
どっとはらい